屋根が庭の住宅を訪れた。

先週の休みのことだが、

石井修設計の「天と地の家」の内覧に行ってきた。

 

作品タイトルと大胆な屋上庭園のチラシに惹かれたこと、そして、自転車で4、50分とアクセスがたまたまよかったことがあり、初めて個人住宅の建築作品の内覧に訪れた。

 

自転車で4,50分と聞くと遠いと感じるかもしれないが、電車だとバスを乗り継いで1時間以上かかる、不便なニュータウンの中にあるのだ。

 

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↑住宅前に貼ってあった案内のチラシ

 

堺市に越してきて丸一年経ったが、引きこもり体質であったので、ほとんど街をぶらついたことがなかった。だが、少しでもクロスバイクを走らせると、新しい風景に出会うことができる。天と地の家に向かうまでにいくつかの面白い風景に出会えた。

 

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とてつもなくアップダウンを繰り返す幹線道路や、田園風景に突然現れる高層マンション群、どこまでも真っ直ぐに伸びていく道路。区画化された整然さと無秩序のままの田園、ニュータウン独自の面白さがある。

 

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そんなニュータウンの一角にひっそりとコンクリートの住居があり、この日は内覧のため建築家をメインに4,50人近くは訪れていたと思う。

外を歩く人からも、屋上庭園は人で賑わっているのが見て取れる。小さな子供もきており、庭の坂を上り下りしたり、楽しんでいる様子はかわいい。一階部中央にも庭があり、入り組んだ部屋の構成になっており、部屋を回るだけでも多様な空間体験ができて面白い。とはいえ、ひとつひとつの部屋のスケールは、身近で住まうことへのリアリティがあるのが特徴的だった。

 

本内覧を主催し、建築作品の保存活動を行なっている団体のメンバー、建築家や大学教授、弁護士の方々による、不動産的価値と建築的価値をめぐるディスカッションは、聞いていて勉強になったし、面白かった。

 

この住居自体が、そこまで高いわけではない値段で売られているにもかかわらず、2年も買い手がついていない。議題は、それはなぜかということについてだったりだった。

 

ただそれについては、どれだけ価値を発信できているのかということに疑問を覚えた。この場に来ていた人々のほとんどが建築に興味があって来ているように見えたことからも、特別の内覧という機会だけでなく、より積極的にオープンにしていくべきではないかと思った。

不動産会社がたしかに所有はしており、買い手がつけばその買い手が所有者となる。ただいつまでも買い手が見つからなければ、放置されその間誰も価値を享受できない。いったん仮でもいいので、地域住民が価値を理解し、共同で所有し、オープンに利用していく、そういう形はどうだろうか。うちの町にはこんな面白い空間があったんだという発見で、町への愛着も深まるはずだ。

やはりシェアリングの時代の波は押し寄せていると感じる。個人で建築的価値や不動産的価値を背負っていくには荷が重い。住宅であっても、みなで守っていく、継続していくような価値観を育んでいく必要があるように思うのだ。

その点でも、弁護士の方のような建築素人だけでなく、もっともっと枠を拡大し、多様な意見を掬い上げ、建築の保全活動をしていったら良いのではないか。

 

建築の公共性とは、また別の視点になるかもしれないが、知らないひとが同じ空間を共有し、不思議と仲良くなれる空間にぼくは興味がある。

 

バーのような、初対面のひと同士で新たな人間関係が生まれるにはどうしたらよいのだろうか。今回の柵のない屋上庭園はへりにちかづくと大変スリリングだ。ここで、近くにいた知らないおばさんと目があって、お互いニヤッとしてしまった。怖いですね、という感覚の共感から生まれた結びつきだ。ふだん街で歩いていて、知らないひとと会話が生まれることはまずない。身体的体験の共有というきっかけは、偶発的に新しい人間関係を生むひとつになりうると、そう感じたささいな体験だった。