李相日監督の映画「悪人」を観て
駅前の図書館でSWITCHの最新刊を読んだ
福山雅治が表紙、思わず手にとった。モテキの大根監督の映画に主演するとか
映画の特集らしく、映画の雑誌みたいだった(ふだんはどうなのかは知らない、、まえ、指原の表紙に魅かれて買ったことがあるが、そのときは写真がメインだった)
そのなかでひときわ興味をひいたのが、李相日監督の映画「怒り」の記事だった
宮崎あおい、綾野剛、妻夫木聡が出演してて、ゲイシーンが話題になっているやつだ
妻夫木のインタビューから、監督の役者に対する厳しい態度と作品にかける情熱が読み取れる
「役者をまずはがしていくことから始める」「そのひとになる瞬間をじっと待つ」「見切れぎりぎりのところで役者の演技を見守る」
綾野と妻夫木に対して「二人の芸能人がただ並んでカップめん食ってるようにしか見えない」と言って切り捨て、彼らは実際に二人で共同生活をはじめ役と向き合ったという
ここまでくると、監督の作品が気にならないわけがない、、、!
そこで、6年前(観てはいないが存在は知っていた、そんな前だったとは!)の監督の映画「悪人」をみようとなった
結論から言うと、これは激推しの映画だ(ラストは泣いた。。。)
それほど映画は観ないけれど、悲劇の映画というとドラッグ、酒、性におぼれ、暴力、暴力、暴力、、、殺人、もうどうしようもない、みたいなのばかりだと思っていたが(そんなことはない?「そこのみにて光り輝く」とかそんなイメージ)
そんな現実ひどくはないだろ!って思ってしまうのだ。作為的に悲劇を持ち込んでる、悲劇的なイベント(重い病にかかる、親が自殺、殺人を犯してしまうetc)を映画を成立させるために道具として使っている、とも
だが、この「悪人」はこちらにそんなつっこみをさせず、イライラもさせなかった
主役は殺人を犯してしまう妻夫木だが、彼にほれ込んで共に逃避行に及ぶヒロインの深津絵里をはじめ、登場人物皆それぞれが丹念に描かれていて、どの人物も遠くには感じられなかった
自分に近い、もしかしたら自分もそうなるかもしれないと思わなくとも、見渡せば自分の周囲近くにいそうな、強いリアリティがあったように思う(それは監督の役者を引き出す、、いや、引きはがして生身をむき出しにする?演出術が大きいのか)
柄本明演じる、娘を殺された父親はおぞましい憎悪を抱いており、ほかの人物とは一線を画しているが、それだからこそ言えたともいえる語りのようなセリフがあった
「守るべきものがないやつが多すぎる、失うものがないと開き直って余裕をもったつもりになってる、だがそうじゃないだろ?そんなんじゃ人間ダメだ、、、どうしても守りたいものがおまえにはあるか?」みたいな
映画を観客に語りかけるかのようなセリフだし、そんな言い回しだった
守るべきものがあるひとって今の世の中どれだけいるんだろうかって思ってみるけど、意外とみんなあったりして、、(ぼくは当然ないけれど、いざとなったら街をあてもなく放浪して独りで生きていくかって感じ、でも余裕があるなんて思ってもみないが)
失うものがないって、やけくそになってカッとなったら殺人でも犯してしまうかも
ぼくだけじゃなく、だれもがすこしはそう思えるんじゃないだろうか、、、
やっと手にした守るべきものとも、離別しなくてはならないという運命、
自ら逃避劇に終わりをつけるために、殺人という過去を背負った男が彼女の首に手をかける
こみあげる激しい思いを想像すると、涙を禁じ得なかった
壮大で素晴らしい悲劇だ
現在公開中の「怒り」はぜひ劇場で観たい、観なくては、、、!
ちなみに、深津絵里の長崎弁?はものすごくかわいい、、!!!
繰り返し観たい映画である、出会えてよかった。