言葉にのこしていくためにブログをはじめよう

日記を書こうと試みてきたことは何度もあったはずだが、三日坊主どころか一日でおわってしまってしまう場合もあった

iphoneを使い始めてから、特にここ半年?ばかりは、日々の記録に写真を使っている

なにかことがあれば、どこかに足を運べば、iphoneで記憶しておきたい光景を写真に収めている

 

でも言葉でのこしていきたい

 

言葉の記録には思考がともなう 思考だとか感情だとか、毎日毎日自分の内部の中で沸き立っては、消えていくものをのこしていくためには書き記していくことが一番だ

 

ぼくは忘れっぽいから、かっとなったことも感謝したこともきれいさっぱり忘れてしまうことがこわい

そしてなにより書いていくうちに思考を深められる、、そんな感覚が得られる

(考えることが苦手だから日記は続かないのかもしれない)

 

二日前の土曜日に、大学時代のサークルの先輩に会った。彼は就職を今年も見送り、迷走に迷走を重ねている。最近、筋トレと日記を始めたという、、、!

 

過去を清算する時期だ、と言っていた、来週には高野山で修行僧体験?をするらしい

ぼくと彼は、平城京跡でSPACの野外劇を観て、それから飲みながら身の上話をした。

だいたいは働くことに踏み出せずにもがいている彼に耳を傾けていたのだけれど

 

spac.or.jp

 

毎朝同じ時間に起きて筋トレをし、一日のおわりには日記を書く、一日が一部でもルーティン化してくると精神が安定してくる

 

ぼくもとても同意する

4月から会社員になって、毎朝7時過ぎにおきて8時すぎには家をでる、帰って寝る前に残された時間は残業がなければ同じ、

5日間働き、二日休む、、、その繰り返しになれて、つらく思う時間もすくなったように思う(ひまな時間ができると変によくない思考に走ってしまう)

 

彼がぼくと会った日を、ぼくのことをいったいどのように書き留めているのか、

覗けないことこそに日記の面白さがあるし、ひょっとしたら当事者に見られてしまうかもしれない、たまたま目に留まった他人が共感してコメントを投げかけてくれるかも、、

そういった他者への期待があるから自分はブログになる

(彼ももしかしたらブログかも)

 

自堕落な彼が日記をやっているっていうのだから、自分にもできるさと毎日(よくて週に2,3回?)に新たなタスクを負いたい

きっと書き記した日は密度が濃く感じられる、そんな実感がここまでである

 

さあ、ブログをはじめよう