李相日監督の映画「悪人」を観て

駅前の図書館でSWITCHの最新刊を読んだ

 

SWITCH Vol.34 No.10 『SCOOP!』を追う者たち

SWITCH Vol.34 No.10 『SCOOP!』を追う者たち

 

 

福山雅治が表紙、思わず手にとった。モテキの大根監督の映画に主演するとか

映画の特集らしく、映画の雑誌みたいだった(ふだんはどうなのかは知らない、、まえ、指原の表紙に魅かれて買ったことがあるが、そのときは写真がメインだった)

 

そのなかでひときわ興味をひいたのが、李相日監督の映画「怒り」の記事だった

宮崎あおい綾野剛妻夫木聡が出演してて、ゲイシーンが話題になっているやつだ

 

妻夫木のインタビューから、監督の役者に対する厳しい態度と作品にかける情熱が読み取れる

「役者をまずはがしていくことから始める」「そのひとになる瞬間をじっと待つ」「見切れぎりぎりのところで役者の演技を見守る」

 

綾野と妻夫木に対して「二人の芸能人がただ並んでカップめん食ってるようにしか見えない」と言って切り捨て、彼らは実際に二人で共同生活をはじめ役と向き合ったという

 

ここまでくると、監督の作品が気にならないわけがない、、、!

 

 

 

そこで、6年前(観てはいないが存在は知っていた、そんな前だったとは!)の監督の映画「悪人」をみようとなった

 

悪人

 

結論から言うと、これは激推しの映画だ(ラストは泣いた。。。)

それほど映画は観ないけれど、悲劇の映画というとドラッグ、酒、性におぼれ、暴力、暴力、暴力、、、殺人、もうどうしようもない、みたいなのばかりだと思っていたが(そんなことはない?「そこのみにて光り輝く」とかそんなイメージ)

 

そんな現実ひどくはないだろ!って思ってしまうのだ。作為的に悲劇を持ち込んでる、悲劇的なイベント(重い病にかかる、親が自殺、殺人を犯してしまうetc)を映画を成立させるために道具として使っている、とも

 

だが、この「悪人」はこちらにそんなつっこみをさせず、イライラもさせなかった

 

主役は殺人を犯してしまう妻夫木だが、彼にほれ込んで共に逃避行に及ぶヒロインの深津絵里をはじめ、登場人物皆それぞれが丹念に描かれていて、どの人物も遠くには感じられなかった

自分に近い、もしかしたら自分もそうなるかもしれないと思わなくとも、見渡せば自分の周囲近くにいそうな、強いリアリティがあったように思う(それは監督の役者を引き出す、、いや、引きはがして生身をむき出しにする?演出術が大きいのか)

 

柄本明演じる、娘を殺された父親はおぞましい憎悪を抱いており、ほかの人物とは一線を画しているが、それだからこそ言えたともいえる語りのようなセリフがあった

「守るべきものがないやつが多すぎる、失うものがないと開き直って余裕をもったつもりになってる、だがそうじゃないだろ?そんなんじゃ人間ダメだ、、、どうしても守りたいものがおまえにはあるか?」みたいな

映画を観客に語りかけるかのようなセリフだし、そんな言い回しだった

 

守るべきものがあるひとって今の世の中どれだけいるんだろうかって思ってみるけど、意外とみんなあったりして、、(ぼくは当然ないけれど、いざとなったら街をあてもなく放浪して独りで生きていくかって感じ、でも余裕があるなんて思ってもみないが)

 

失うものがないって、やけくそになってカッとなったら殺人でも犯してしまうかも

 

ぼくだけじゃなく、だれもがすこしはそう思えるんじゃないだろうか、、、

 

やっと手にした守るべきものとも、離別しなくてはならないという運命、

自ら逃避劇に終わりをつけるために、殺人という過去を背負った男が彼女の首に手をかける

こみあげる激しい思いを想像すると、涙を禁じ得なかった

 

壮大で素晴らしい悲劇だ

 

現在公開中の「怒り」はぜひ劇場で観たい、観なくては、、、!

 

 

 

ちなみに、深津絵里の長崎弁?はものすごくかわいい、、!!!

 

繰り返し観たい映画である、出会えてよかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仕事/鬱憤

突然の異動の連絡だった

来週からデスクを離れ現場に戻る いろいろ商品に不具合が見つかったのだ

残業2時間で10時間立ち仕事に戻ることなんてまったく考えていなかった

だれだってそうだ

 

それでも、いまの仕事の気分転換になると自分に言い聞かせる

 

一か月前から日々、朝から一日中デスクに向かって、数字の羅列の転記に明け暮れている

神経を使う仕事だ、まったく自分に向いているとは思わない

 

コンピュータがそういうのには一番向いている、そんなのだれだってわかっている

それができない、そうするには面倒な事情がいろいろあるのだ

とかくYESと応じる社員、特にスキルもなにもない新入社員は使い勝手が、コンピュータなんかよりずっといい

プログラムなんて書く必要がないんだから

 

先週の金曜、友人の付き合いを早々に抜け出しチャリをふらふらと漕ぎながら、自分としては目一杯の声で歌っていた

やっぱりスガシカオだった

 

もっぱら聞くときはスガシカオだが、最近は、ライブに行ってからは毎日のように聞いて、口ずさんでいる

とはいえ、デスクに就いてからは神経が知らず知らずにすれ切れてきたのか、鬱憤がたまってきている、そんな気がする

どうしても大声で歌い、叫びたくなる

作品に触れたときの驚きと新鮮さ

彫刻家・舟越桂の創作メモ 個人はみな絶滅危惧種という存在を読んでいたら、鑑賞者は初めて作品に触れたとき、強烈なものであれば驚きを得るだろう、しかし、二度目はどうか、何度も作品に触れているうちに驚きは消失するのではないか、とあった

続けて、驚きは失われても、新鮮さはいつまでも保持していてほしいと

 

先週の日曜日、ぼくはスガシカオのライブにいっていた

アルバムTHE LASTを引っさげたアンコール全国ツアーで、このアルバムの曲はどれも猥雑で混沌しながらもさまざまなエッセンスのようなものが凝縮されているようなのだが、生で聞いて初めてCDで聞いたときの驚きと新鮮さは得られたか?

生で聞くのとCDで聞くのはどう異なるのか?

 

CDではじめて聞いたときはものすごいセンセーショナルな気分になったのをおぼえている

なんども聞いているうちに慣れたのか、その感覚はすでに薄くなってきたが、ライブで聞いた得た感触はやはり何か違う

 

スガシカオ本人が、THE LASTの世界観をライブで伝えるのはすごく難しいと、Twitterでつぶやいている

 

まったく失敗していたとは思わないが、曲の入りの仕方、盛り上がる曲としんみりする曲の順序、間のしゃべりなど、いわゆる演出が大きく左右するだろうと、ライブに行ってはじめて実感した

 

ライブ後に本人が、これ以上のライブが今後できるのか、、と燃え尽きたかのように受け取れるつぶやきもしていた

演劇でもよく同じことを考えるが、演者が「ベストに演れた」という感覚を得たとき、観客にははたしてベストに伝わったのか、という問題が横たわる

 

物販で買ったCDは、このアルバムのライブ音源を収めていた

視聴会と題し、アルバムリリースを先駆けてファンに新曲をお披露目するライブの収録であった

 

はじめて聴いたときの、この曲すげえ!を直接ファンに味わってほしい、そんな思いから生まれた企画だったそうだ

 

CDで聞くにせよ、ライブで聞くにせよ、はじめて音楽と接せられる機会は一度だけだ

 

刺激的な驚きを得たい欲求もあるにはあるが、飽きられずに何度聞いても新鮮さを与えてくれるような作品に出会いたい

 

 

 

 

 

 

 

 

高松の商店街を見上げて

f:id:north-urawa-takao:20160913211340j:plain

言葉にのこしていくためにブログをはじめよう

日記を書こうと試みてきたことは何度もあったはずだが、三日坊主どころか一日でおわってしまってしまう場合もあった

iphoneを使い始めてから、特にここ半年?ばかりは、日々の記録に写真を使っている

なにかことがあれば、どこかに足を運べば、iphoneで記憶しておきたい光景を写真に収めている

 

でも言葉でのこしていきたい

 

言葉の記録には思考がともなう 思考だとか感情だとか、毎日毎日自分の内部の中で沸き立っては、消えていくものをのこしていくためには書き記していくことが一番だ

 

ぼくは忘れっぽいから、かっとなったことも感謝したこともきれいさっぱり忘れてしまうことがこわい

そしてなにより書いていくうちに思考を深められる、、そんな感覚が得られる

(考えることが苦手だから日記は続かないのかもしれない)

 

二日前の土曜日に、大学時代のサークルの先輩に会った。彼は就職を今年も見送り、迷走に迷走を重ねている。最近、筋トレと日記を始めたという、、、!

 

過去を清算する時期だ、と言っていた、来週には高野山で修行僧体験?をするらしい

ぼくと彼は、平城京跡でSPACの野外劇を観て、それから飲みながら身の上話をした。

だいたいは働くことに踏み出せずにもがいている彼に耳を傾けていたのだけれど

 

spac.or.jp

 

毎朝同じ時間に起きて筋トレをし、一日のおわりには日記を書く、一日が一部でもルーティン化してくると精神が安定してくる

 

ぼくもとても同意する

4月から会社員になって、毎朝7時過ぎにおきて8時すぎには家をでる、帰って寝る前に残された時間は残業がなければ同じ、

5日間働き、二日休む、、、その繰り返しになれて、つらく思う時間もすくなったように思う(ひまな時間ができると変によくない思考に走ってしまう)

 

彼がぼくと会った日を、ぼくのことをいったいどのように書き留めているのか、

覗けないことこそに日記の面白さがあるし、ひょっとしたら当事者に見られてしまうかもしれない、たまたま目に留まった他人が共感してコメントを投げかけてくれるかも、、

そういった他者への期待があるから自分はブログになる

(彼ももしかしたらブログかも)

 

自堕落な彼が日記をやっているっていうのだから、自分にもできるさと毎日(よくて週に2,3回?)に新たなタスクを負いたい

きっと書き記した日は密度が濃く感じられる、そんな実感がここまでである

 

さあ、ブログをはじめよう